
天気の子のラストシーンの帆高のセリフに、なんで「きっと」がついているんだろう?
と疑問に思った人のために「天気の子」を観てきた僕が「きっと」がついている理由を考察しています。
この考察記事を読んでいただくと、より深く考えることができて「天気の子」をもう一度観たときに、さらに感動することができるんじゃないかと思います。
まだ「天気の子」を観ていない人は、この考察記事を読んでいただいても、なんのことだか分からないと思うので先に天気の子の全体的な印象をまとめた感想記事のほうを読んでいただくとうれしいです。
ラストシーンの帆高の大丈夫というセリフは「きっと」がついていることが重要

ラストシーンで帆高が陽菜と自分の選択が世界の形を変えてしまったことを確信するセリフがあります。
そのとき、ぼくたちは、きっと大丈夫だ。というセリフがあります。
「きっと」は、この先帆高は陽菜と生きていくなかで、いろいろとあるだろうけれど「陽菜と二人なら大丈夫って思える帆高の気持ち」を表したものなんでしょう。
そしてさらに新海監督のメッセージとして映画を観た若者たちに、
これからの世の中は大変だろうけれど、きっと大丈夫だから強く生きてほしい
ということがこめられているラストシーンではないでしょうか。
最後のセリフは、希望を持てない世の中が訪れつつあるなかの人々への応援メッセージ
リアルでは、
- 観測史上最大の豪雨など異常気象が日常になりつつある。
- 地球温暖化で水没するエリアが出てくると言われている。
- 少子高齢化や年金問題、上がっていく社会保険料など先行きの暗い日本
などなど、あまり希望を持てない世の中が訪れつつあるという空気を、なんとなく感じている人は多いのではないでしょうか。
なにが「きっと大丈夫。」なのか。なぜ「きっと」なのか。
これからの世の中を生きていく人々に「絶対大丈夫」なんて無責任なことは言えない思いが「きっと」という言葉になっているだけではないはずです。
「きっと」にこめられた今希望を持てることの大切さ
しかし「きっと」という言葉には希望も感じます。
物語のなかでは東京が水没して、たいへんななか生きていかなくてはいけないけれど帆高は陽菜と一緒なら生きていく気持ちになれる。
だからこれから先も「きっと」大丈夫なんだと思うことが帆高はできた。
その思いは希望になっています。
そして新海監督のメッセージは、
地球環境とか社会状況が悪化するといった自分たちではどうしようもないことがあって困難が訪れたとしても、帆高と陽菜のように愛をもっていれば大丈夫と感じることが今できていませんか?
その気持ちを大切にしてほしい。
ということなんでしょう。
その今大丈夫と感じることができている、だからこれから先も・・・っていう部分が「きっと」という言葉で表現されているのではないでしょうか。
「愛があれば、きっと大丈夫と思うことができる。」このことが、まだ愛にできることなんでしょうね。
大災害があったとき多くの人が見ず知らずの人と助け合うのも愛の1つかな。
「愛」って恋人とか妻、夫への愛だけでなく子どもなど家族の間の愛でもいいし、まったくの他人への愛でもいいと思います。
豪雨とか歴史的な地震や津波があったときって、普段はなんの関係も持たない人たちの多くが助け合ったと思います。
そういうのも愛の1つですよね。
そうした「愛」があれば、自分ではどうしようもないと思える困難な時代、時期になったとしても大丈夫だろうと今思うことができる。
そういうふうに大丈夫だと今思うことができることが、生きていくうえで大切なんだと思います。
まとめ
ということで天気の子のラストシーンで帆高の心の中の声の「きっと大丈夫」についての考察記事でした。
まとめると、
- 「きっと」をつけることで今大丈夫と思えることの大切さを表現している。
- 「きっと大丈夫」と思えることが、まだ愛にできること。
- 大災害があると多くの人が助け合うのも愛の1つ。
といったところでしょうか。
ラストシーンのセリフの大丈夫に、なぜ「きっと」をつけたのかってだけでも、これだけ考察できるので「天気の子」奥が深いアニメ映画です。
奥が深い映画でありながら、たくさんの人が楽しんで観ることができるエンターテインメント性があることもすごいなって思います。
ラストシーンで、なぜ陽菜が祈っていたのか考察した記事も書いています。
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