聲の形のアニメとマンガの違いについて紹介します。
この記事ではアニメ版にはない漫画版の重要ポイントについて書いています。
アニメ版の重要ポイントについては別の記事にしています。
関連ページ 聲の形 アニメと大今良時原作マンガとの違い アニメは音楽と映像がすごい
「マンガ版聲の形のアニメ版と違うところは?」
と思っている人に参考になるように書きました。
聲の形はアニメ版とマンガ版では大きく違います。
漫画版はアニメよりももっと深く「聲の形」という物語を理解できるようになっています。
関連ページ 漫画「聲の形」ネタバレなし感想 将也と硝子が自分を取り戻す物語
マンガもアニメもぜひ両方見てほしいです。
ネタバレありですが重要な部分はあいまいに書いておきます。
マンガのほうが登場人物を知ることができる
アニメ映画版は限られた時間のなかにいろいろ詰め込むことになるので、どうしても将也と硝子についてのシーンが多くなります。
そうしないと「聲の形」の良さを伝えきれないですよね。
アニメ版ではただの脇役だった登場人物のことが漫画版では詳しく描かれています。
真柴は眉毛が太いせいでイジメられていた
たとえば真柴(アニメ版で川井を通じて将也と友達になりたいと伝えてきた男)はアニメ版ではただのイケメン男子ですが、マンガでは過去にイジメを受けていたことや、ちょっとサイコパスっぽい性格になってます。
真柴は眉毛が太いからとイジメられていたとマンガではなってましたが、アニメ版では言われてみないと眉毛が太いって分からなかったですね。
マンガ版では川井はさらにエグイ性格になってる
真柴のほかにも川井はさらにすごい性格になってます。
アニメ版でもかなり危うい性格だなと思いましたが、マンガ版ではさらに磨きがかかってますね。
川井はクズなんて言われたりしてるみたいです。
クズって分からないでもないですが、そこまでひどい性格ではないかな・・・
川井はかなり思い込みが激しいですよね。
川井らしさが表れている漫画で一番印象に場面は、橋の上での言い争いのとき。
うわ~これが川井だな・・・と永束に同情したくなりました。
でも川井は川井で悩んでいるんですよね。
「こんなにも”いいこと”をしているのに、なんでいろいろ言われなきゃいけないの?」というふうに。
それにしても川井のようなキャラクターを作り出す大今良時はすごい漫画家です。
とまあこんな感じでそれぞれのキャラクターについてかなりいろいろと描かれているので読み応えありますよ。
マンガではゆづるが将也と硝子をくっつけようとしてるのがいい
将也と硝子、高校生になった2人は将也が硝子に会いにいったことで、よくコミュニケーションをするようになります。
将也と硝子が恋人関係というよりは、お互いが相手を必要としているという関係がずっと続くのはアニメ版も漫画も同じです。
恋愛の両想いという関係とはちょっとズレてるんですね。
これは将也が女性を好きになるような精神状態ではないからでしょう。
でも周りの人間が将也と硝子を見ているとくっつきそうでくっつかない、お互い両思いなんだとしか見えないですよね。
漫画では硝子の妹の結絃(ゆづる)が、そんな将也と硝子をくっつけようといろいろします。
アニメ版でも将也と硝子をくっつけようと結絃(ゆづる)があることをするっていうシーンはありますが、あまり説明的な場面がないのでそれと気づかない部分もありました。
漫画版で結絃(ゆづる)が将也と硝子をくっつけようといろいろとする様子が、姉を応援する妹って感じが出ていてよかったです。
アニメのその後がマンガで分かる
アニメ映画版では将也が文化祭を見てまわるところでエンディングですが、マンガ版はアニメ映画版のその後も描かれています。
ラストシーンがアニメ版とマンガ版では違うんです。
マンガでは将也と硝子の成人式まで描かれています。
私はマンガのラストシーンのほうが好きですね。
「生きるのを手伝ってほしい」という将也が硝子に言ったセリフにふさわしいマンガ版のラストシーンでした。
マンガのラストシーンのその後も見たいですが、まあそれは描かれないのでしょう。
マンガでは石田将也と島田のことがもっと描かれる
高校3年生になった将也のトラウマになっているのが島田とのこと。
小学生の途中までは将也は島田、広瀬と仲が良かったんですが、硝子の補聴器のことがあってから仲違いしてしまいます。
高校時代はアニメでは島田は2回ぐらい登場するだけ。
しかし漫画では島田がアニメ版よりも登場回数が多くなっています。
アニメ映画では省かれている自主製作映画に島田がある事で少し関わってくるんです。
アニメでは島田は将也とはずっと仲違いしたままなのかなという印象です。
でも漫画では将也と島田が普通に会話できるようになるんじゃないか、という希望を感じさせるストーリーになっています。
自主製作映画に島田が関わることや漫画のラストシーンのその後を想像すると、このまま将也と島田が物別れのままになるとは思えないんですよね。
【考察】硝子が転校してくる前から島田と広瀬は少しずつ将也と距離を取り始めていた。
将也と島田、広瀬の仲違いは硝子の補聴器のことがあって突然やってきたというわけではないのでしょう。
硝子が転校してくる前から将也と島田、広瀬に距離ができてきていることが漫画だとより分かります。
小学校時代の将也はとにかく退屈に負けたくないからと、たくさんムチャなことをします。
小学校時代の島田と広瀬は最初はそんな将也のムチャな行動を一緒になって面白がっていますが、だんだんと将也についていけなくなっているんです。
漫画ではだんだんと将也についていけなくなる島田と広瀬の心理がよくわかりますね。
硝子の件で将也は一線を超えてしまい、竹内先生によって将也がすべて悪いとされることになります。
一緒にいじめていた将也以外の生徒たちは、こうなったのは先生の言う通り全部将也が原因だと自分に言い聞かせて、自分は悪くないと思うことにして罪悪感を逃れたわけです。
島田や広瀬もこういう心理状態だったのでしょう。
硝子が転校してくる前から将也についていけなくなっていた島田と広瀬は、これ以上将也に関わっていたらろくなことがないと思ったんじゃないでしょうか。
また罪悪感を持ってしまうようなことに巻き込まれかねないと将也を排除しはじめたのだと思います。
硝子の補聴器の事件で島田はもう将也と仲良くしないほうがいいと見切りをつけたのでしょう。
アニメ映画で意味不明なシーンがマンガでわかる
アニメ映画版はマンガ版をかなり圧縮したストーリーになってます。
ですのでアニメ版は分かりにくいシーンが多いんです。
アニメ映画版はマンガの印象的な絵をイメージ画像みたいにして使ってます。
どういう意図でこういうシーンがあるのかってことがイメージ画像みたいになってるので理解しにくいんですね。
アニメ版映画の監督は、映画を観終わった人にマンガも読んでほしいという考えがあるのかなって思います。
アニメ版でよく分からないシーンがマンガを読むとよく分かるようになっています。
アニメ映画版のオリジナルな表現もあります。
映画の最初とラストシーンに出てくる小さい淡い光のなかに影のようになった2人がいるシーンはアニメオリジナルですね。
この影のようになった2人は、たぶん将也と硝子でしょう。
聲の形は将也と硝子から始まりました。
真っ黒の画面のなかに小さな光があり、その光のなかに将也と硝子がいる。
このシーンは石田将也の心の中を表しているのだと思います。
生きることに絶望していることが真っ暗な画面で表現され、絶望している将也の心のなかに硝子という一筋のほのかな明かりが灯り始めている様子なんだと、このシーンを見て思いました。
アニメ映画とマンガどっちを先に見たらいいか
アニメ映画を先に観るのがオススメです。
アニメを先に観て次にマンガを読み、そしてまたアニメ映画版を観る。
するとアニメ版でよく分からなかったシーンが理解できるようになります。
私はアニメ→マンガ→アニメ→マンガっていう繰り返しを何回も繰り返してます。
そうすると、
「将也はこんなふうに思ってるんじゃないだろうか」
「硝子の考えていることってこんなことかな?」
ということが分かってきて面白いんです。
さらにそれぞれの場面がつながっているんだろうなってことが見えてきて、より「聲の形」を深く体験することができるようになってきます。
まとめ
ということで「聲の形」アニメ版とマンガ版の違いについてレビューしました。
アニメ版はマンガ版のなかから山田尚子監督が、ここはアニメに入れたいと思った部分を取り入れてうまくまとめているという印象です。
ひとつだけお伝えしたいのはアニメ版だけじゃなくマンガも読んでほしいということ。
マンガのほうがより深く「聲の形」のことを知ることができます。
ぜひ「聲の形」アニメ版、マンガ版両方見てくださいね。
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