アニメーション映画の「言の葉の庭」を観て感動して何回も繰り返し観ました。
そのうち小説版も読みたいと思うようになりKindleで購入して読んでみました。
小説版の「言の葉の庭」いいですね。
「言の葉の庭」のそれぞれの登場人物たちのことを、もっと深く知ることができて良かったです。
アニメ映画の「言の葉の庭」を観た人は、小説版を読むことで、もっと「言の葉の庭」の世界を魅力的に感じることができますよ。
それでは小説版「言の葉の庭」について感想や評価、気づいた点などをレビューしていきますので、読むかどうか参考にしてください。
こういう人におすすめ
- アニメーション映画「言の葉の庭」を観てすごくいいと思った人
- 「君の名は。」の明るい雰囲気を取り除いた新海作品を観たい人
- 文字を読むことの心地よさを知りたい人
【あらすじ】
雪野と孝雄は、東屋で出会った。二人を中心に、秋月翔太・伊藤宗一郎・相澤祥子・秋月怜美、それぞれの物語が綴られていく。
小説「言の葉の庭」の感想・評価
ネタバレあり!
映画版と違い、より深く描かれる小説版のストーリー
言の葉の庭のアニメ映画のほうを、何回も繰り返しみるほど、面白かったので、小説も読んでみました。
アニメのほうを気に入って、このストーリーをもっと深く楽しみたい人は、小説を読んでみることをおすすめします。
小説は、群像劇になっていて各話ごとに主人公(語り手)が変わっていき、この「言の葉の庭」の世界観を、より深く知ることができるようになっています。
新海監督が「言の葉の庭」をどういうふうに作っていったのかっていうことを、より深く知ることができるんですね。
アニメでは雪野と孝雄二人を中心に描いています。
もし、この二人だけの世界だけを楽しめれば満足で、他の登場人物のことには興味がないということであれば小説は読まなくてもいいと思います。
僕は、読んでよかったと思いました。
久しぶりに小説を読んでみて、言葉の連なりから感じる良さというのを思い出させてくれました。
アニメ映画では分からなかった登場人物それぞれの心の内面
小説ではアニメだけでは分からなかった登場人物の心の内面が描かれます。
登場人物たちの心の内面が文章で詳しく書かれています。
たとえば、雪野と孝雄が新宿御苑の東屋で初めて会ったとき。
アニメを観ただけの段階では、雪野は孝雄に対して自分が孝雄が通っている学校の先生だということを、なんとなく察してほしいという感じなのかなとしか思っていませんでした。
ところが、小説だと初めて高雄と会ったときの雪野の心情が細やかに描かれていて面白かったです。
小説だと、雪野は孝雄をからかう気持ちがあったということが分かります。
大人の女性が、まだ若い男の子をからかい半分で接する感じってありますよね。
こんな感じで、アニメでは観客がそのシーンから登場人物たちの心の内面を想像するしかないんですが、小説では、そのあたりの心理面のことがはっきりと書かれているわけです。
こういうのは、小説の良さですよね。
ただ、アニメという映像と音から成り立つものから、観客が自由に登場人物のことを想像できるという余地があるのも、映像と音のいい面でもあるといえるでしょう。
小説ならではの言葉の連なりへの、こだわり。
新海誠監督の創作へのきめ細かさが、この小説では存分に味わえます。
アニメでは、ものすごく美しくきれいで繊細な映像表現をしていますが、言葉の選び方にも新海監督のこだわりというか繊細さが表現されていて、改めてすごい人だなって思いました。
"小説 言の葉の庭<小説 言の葉の庭> (角川文庫)"より、『紙に書きつけるようにして、そう思ってみる。』
この表現すごいな。 https://t.co/R1fg1Q2DoW pic.twitter.com/zP40HJgLgC
— てててmovie/drama (@tetete437) November 2, 2016
この表現、よく思いつくなって思います。
「紙に書きつけるように」っていうのを読むと、なんとなく分かるんですよね。
どういうふうに心の中で思っているのかっていうのが。
紅葉って、黄葉とも書くのか。
おすすめの本の紹介:『小説 言の葉の庭<小説 言の葉の庭> (角川文庫)』(新海 誠 著) https://t.co/ZeIerLKY0L pic.twitter.com/4urDo1tgP7
— てててmovie/drama (@tetete437) October 17, 2016
そして、この「黄葉」
誤字じゃなくて、こう書くことを選んだってことですよね。
今は、「紅葉」が使われることが一般的ですが、昔は「黄葉」が使われることもあったみたいです。
この小説の、このシーンでは「黄葉」がふさわしいと新海監督が思ったってことなんでしょう。
新海監督自身の思いが小説のセリフとなって出てきている感じがします
言の葉の庭は、靴を作るという少年が主人公なので、物を作るということに対する言葉が、時折出てきました。
"小説 言の葉の庭<小説 言の葉の庭> (角川文庫)"より、『もう創ってるんだ』
これだよね。
新海監督の言葉に聞こえる。 https://t.co/T6qNQCjauj pic.twitter.com/bhjCg78RJC— てててmovie/drama (@tetete437) November 10, 2016
「もう創ってるんだ」っていうセリフ。
新海監督自身の言葉ですよね。たぶんこれ。
他人の創作物に対して、いろいろ批評したり批判したりしていて、自分だったらもっとうまく創ることができるという感じの人いますよね。
そういう人は、たいていの場合「創ってみたい」と思っているだけで、いろいろとできない理由を考えてなにも手をつけていないことがあるでしょう。
自分でなにか創りたいと本気で思っている人は、他人の作品を批判している暇はなくて、もうすでに創りはじめているんだっていうことが小説の「もう創ってるんだ」っていうセリフに表れているのだと思います。
新海監督は、昔、サラリーマンしていたけれど、一念発起して「ほしのこえ」を作ることに集中して、ほとんど一人で作り上げたそうです。
だから、そういった体験が、言の葉の庭の孝雄の靴づくりにも反映されている感じがします。
映画のラストシーンになったとこでの孝雄のセリフも、なんだか新海監督自身の言葉のように聞こえてくるんですよね。
映画よりも、さらに魅力的に描かれる小説版の雪野
映画では、雪野はすごくきれいで可愛らしさもあって、可憐な女性というふうに描かれていました。
そして、性格もおっとりしていて気立てもいいみたいな感じですね。
小説では雪野の心の内面のことまで書かれていて、さらに雪野が魅力的になっています。
雪野のことや、雪野と孝雄の様子、心の中のことなどが書かれているところを読んでいると、ドキドキとしてきました。
アニメは映像と音がありますが小説は文字だけ。
文字の連なりだけでも、こんなにもドキドキしたりなど心を動かされるってことがあるのを、久しぶりに「言の葉の庭」の小説を読んで思い出しました。
小説版と映画版の違い
「言の葉の庭」の小説版と映画版の主な違いについてまとめておきます。
- 結末が違う
- 小説版は群像劇
- それぞれの人物が映画版よりも深く描かれる
- それぞれの人物の心の声がはっきりと分かる
などなど、映画版と小説版には多くの違いがあります。
映画版の「言の葉の庭」の雰囲気が好みだった人は、小説版でさらに「言の葉の庭」という物語の深い部分まで理解できるようになり、より味わい深い作品となります。
まとめ
ということで小説「言の葉の庭」の感想や評価などのレビューでした。
まとめると…
- アニメ映画よりも心理面が深く描かれる
- 文字の読むことの気持ちよさがある
- 新海監督自身の思いが込められている?
- 小説版の雪野は、さらに魅力的
…といったことろです。
小説「言の葉の庭」は、映画を観て感動したりしてもっとこの世界を知りたいって思った人には、うってつけの小説です。
映画では嫌な女みたいなシーンしかなかった相澤祥子が、小説ではかなり詳しく描かれていたりして、この登場人物に対する印象が大きく変わりました。
小説を読んでから映画を観ると、ああこの人にはこういう背景があるんだなって分かって、より楽しめますね。
映画だけを観て、自分でいろいろと想像を巡らすのも楽しいです。
小説版は、新海監督がこの「言の葉の庭」という作品に対して、どういうことを描きたかったのかっていうのを知りたい人にもおすすめです。
マンガ版も発売されています。
アニメーション映画の「言の葉の庭」の感想記事書いています。

コメント